津地方裁判所 昭和52年(ワ)190号 判決 1983年2月25日
原告
山中康彦
同
山中菊代
右両名訴訟代理人
中村亀雄
石坂俊雄
村田正人
被告
近藤和夫
同
近藤幸子
右両名訴訟代理人
浜口雄
被告
鈴鹿市
右代表者市長
野村伸三郎
右訴訟代理人
坪井俊輔
被告
国
右代表者法務大臣
秦野章
右訴訟代理人
志貴信明
外四名
被告
三重県
右代表者知事
田川亮三
右指定代理人
服部大晃
外六名
被告
有限会社南部建設
右代表者
南部藤太良
主文
一 被告近藤和夫、被告近藤幸子は各原告らに対し、各自金二六三万二九六一円及び内金二四三万二九六一円に対する昭和五二年一二月九日から、内金二〇万円に対する本裁判確定の日の翌日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 右被告両名に対するその余の請求並びに被告鈴鹿市、同国、同三重県及び同有限会社南部建設に対する請求はいずれもこれを棄却する。
三 訴訟費用中原告らと被告鈴鹿市、同国、同三重県及び同有限会社南部建設との間に生じた分は全て原告らの負担とし、原告らと被告近藤和夫、被告近藤幸子との間に生じた分は、これを五分し、その一を右被告両名の負担とし、その余を原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1被告らは各自原告山中康彦に対し、金一四五七万六五三七円、同山中菊代に対し、金一四二七万六五三七円並びに被告近藤和夫、同近藤幸子及び同鈴鹿市はこれに対する昭和五二年一二月九日から、同国、同三重県及び同有限会社南部建設は、これに対する昭和五四年九月四日から各支払ずみまで、それぞれ年五分の割合による金員を支払え。
2訴訟費用は被告らの負担とする。
3仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1原告らの請求を棄却する。
2訴訟費用は原告らの負担とする。(被告有限会社南部建設を除く)
3担保を条件とする仮執行免脱宣言(被告国、同三重県)
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1原告らは亡康之(以下康之という。)の父母である。康之(昭和四九年一月一〇日生)は、昭和五二年五月八日午後三時三〇分ころ、鈴鹿市野村町字拂川六〇八番所在の溜池(通称祓川池、以下本件池という。)で溺死した。
2本件池は、新興住宅地にやや囲まれる形の公簿面積九万九三七八平方メートルのかんがい用溜池で池水は、農業用水として利用されており、例年六月から一一月までの期間は中心部に直径一〇メートル程の面積の水が溜まる程度であるが、その余の期間はほぼ満水になつており事故当時もほぼ満水状態で岸辺から中央へ1.5メートルのところで水深2.5メートルに達する急勾配の状態であるにもかかわらず、防護柵などの設備もなく水難の危険の大きい状況のまま放置されていた。
なお右の水深及び勾配の関係は被告有限会社南部建設(以下被告会社という。)が後記のとおりなした掘削工事により生じたものである。
3康之が当日溺死するに至るまでの経緯は次のとおりである。
当日午後三時ころ康之は被告近藤和夫、同幸子(以下被告和夫、同幸子という。)ら夫妻の三男厚(当時四才)と近藤方庭先で遊んでいた。原告山中菊代(以下原告菊代という。)は夕食の為の買物に出かけるため、同所へ赴き康之を呼んだところ、厚も同行したいと言い出したことから、被告和夫に意向を尋ねたところ、被告和夫は、妻もいるし自分も見ているから康之をおいていつたらよい旨の返事であり、更に被告幸子に対して康之を連れてゆく旨告げたところ、被告幸子も、短時間のことであり自分も見ているからと被告和夫と同様の返事であつたので、原告菊代は被告らに康之の監護を依頼し、買物に出かけた。しかるに約三〇分後帰宅すると、前記のとおり康之は溺死していた。
4 各被告らの責任原因は次のとおりである。
(一) 被告和夫、同幸子について
(イ) 原告らは、前記3のとおり被告らに対して、本件事故当日の午後三時ころ、康之のためにする趣旨で同人についての保護監督を委託し、同被告らはこれを承諾しここに右趣旨の準委任契約が成立した。
よつて、同被告らは委任の本旨に従い善良なる管理者の注意を以つて保護監督の事務を処理する義務を負う。
すなわち、原告らと被告らはかねて親密な交際関係にあり、被告らは保護監督の委託を受けた康之が三年四月の幼児であり、しかも活溌な子であること、本件池の事故現場付近は急勾配に水深が深まり、防護柵も無く危険な状況であつたことを熟知していたものであり、また原告菊代が去つた後本件池の事故現場近くの空地で康之と厚が自転車に乗つて遊んでいるのを被告幸子は目撃していたのであるから、かかる場合、事故現場に子供らが自転車に乗つたまま転落するか、あるいは自転車から降りて遊んでいるうち事故現場に落ち入る危険性があることは容易に予見し得、かつ被告らはいとも容易に康之を呼び戻す或いは子供らの側で見守るなどして右の結果発生を回避することができたものであるにもかかわらず漫然これを放置していたため康之の死の結果を招くに至つたものである。
よつて、被告らは、委任の本旨に従い善良なる管理者の注意をもつて保護監督の事務を処理する義務を懈怠したものである。
(ロ) 仮に右の契約関係が認められないとしても、右の事実関係からすれば、被告らには康之の監護につき、条理上或いは信義則上の注意義務があつたと云わなければならないところ、被告らは、これを怠つたものであるから、民法七〇九条、七一九条による不法行為の責任は免れないものである。
(二) 被告鈴鹿市(以下被告市という。)について
(イ) (所有権の帰属)
土地の所有関係については、明治七年太政官布告第一二〇号によつて官有地、民有地の区分が為され、近代的土地所有制度が整備されるに至り、土地に対し従来から所持権等強度の権利を有していた者が、所有権を取得するに至つたものであるところ、本件池は、古くは地元野村村の百姓らが紀州侯から「永代支配権」を与えられ、爾来野村村がこれを所持し、支配し管理してきたから、本件池の所有権は、他に所有権移転の経緯がみられない以上地元野村の村落共同体を継承した旧野村村に、そして本件事故当時には、同村を合併していた被告市に帰属していたものである。
(ロ) (本件池の管理)
地方自治法二条二項、同三項二号及び同四項は、基礎的な地方公共団体である市町村が溜池を設置し管理し使用する行政事務を行うと規定している。
ところで本件池には別紙第一図のとおり三か所の水の出入口(余水吐等)がコンクリートで設置され、農業用水としての水の入出流は右出入口の調整により調節されているが、この設置も管理も被告市がなしている。
ちなみに、被告市は、自ら事業主体として昭和五一年度に本件池の樋門を八万五五〇〇円を支出して改修し、更に余水吐を七二万三四〇〇円の国庫の補助を受けて復旧工事をなしている。
(ハ) (責任)
被告市は、本件事故当時、本件池の大部分が掘削されている状況下で水を満水にしているが、本件池付近は、殆んど全周囲に団地が造成され、釣り人一〇数名が釣糸を垂れ、あるいは水の無いときは子供らがキャッチボールをしたりして遊んでいた大衆的な場であるから、被告会社に掘削許可を与えた以上、同社がこれを掘り下げて危険な状況を呈した場合、本件事故のごとき溺死事故の発生は当然予見しうるところであるから管理者としてまた所有者として被告市は、直ちに整地させるか、あるいは危険防止の柵を設置するか等の措置をとり、危険を防止すべき義務がありまた容易にこれを為し得たものであるから、本件池の安全性について国家賠償法二条一項に基づく責任がある。
しかるに被告市は、これを漫然と放置してなさず、危険防止の看板すら設置しなかつたのであるから、その責任は重大である。
(三) 被告国について
本件池の所有権が被告市に帰属せず所有者不明の不動産であるとすれば、本件池の所有権は民法第二三九条二項により無主の不動産として、国庫の所有に帰属すると言わなければならない。
そうとすれば、被告国は、本件池の所有者であるから、国家賠償法二条一項に基づき賠償義務がある。
即ち、本件池は、本件事故当時、かんがい用池として利用されており、更に水ぎわ近くまで林立した新興住宅の子らの恰好の遊び場となつていたのであるから、本件池が、岸辺から中央へ1.5メートルのところで水深2.50メートルに達する急勾配の水難の危険な状況のまま放置すれば、必ずや子らが転落して溺死する等の水難の生ずることは容易に予測し得、防護柵を設置するとか、水辺をスロープに浅瀬にする等して容易に水難を防止することができた。右のとおり、本件池がこのような危険な状態にあつたのであるから、その所有者である被告国の管理上の瑕疵があつたといわなければならない。
仮に無主の不動産といえないとしても、所有権の帰属の明らかでない不動産についての管理は条理上国がその義務を負うべきであるから被告国は右管理義務を懈怠した責任を免れない。
(四) 被告三重県(以下被告県という。)について
(イ) 被告県も、前記法条による賠償義務がある。
本件池は、地域住民の生活と密接な関係があるから、地方公共団体の本来的義務として、地方自治法二条二項により、被告県に、その管理の権限と義務があり、現に、被告県は被告国から委託をうけ本件池を管理していたものである。
即ち、本件池は、地域住民のかんがい用池として利用されており、更にその水ぎわ近くまで林立した新興住宅地と近接し、その住宅の子らの恰好の遊び場となつていたから、被告県の管理権限が及んでいるといわなければならない。
しかして、現に、被告県は、本件池の土砂の採取について、被告会社に対して許可を与え、昭和五一年一〇月一一日から同一一月一三日までの間、同会社の本件池の土砂の採取掘削工事に立会い、土砂の運搬についても一定の指導・監督を為していた。
右は被告県が、本件池を管理していたことの証左といえよう。
仮に、被告県に、本件池の法律上の管理権限がないとしても、被告県は、本件池を前述の如く、事実上管理していた。
以上本件池の管理者として前述の如く、防護柵を設置したり、水辺をスローブに浅瀬にする等して、水難防止のための安全措置を講ずべきであつた。
したがつて、被告県の本件池の管理には、瑕疵があつたと言わざるを得ない。
(ロ) また仮に、被告県が国の委託を受けて管理していた事実がないとしても、本件池が私人の所有物でないことが明らかである以上、前記被告会社に対し、事前に危険性のある状態を長期間放置することのないよう注意指導すべき条理上の義務があると解すべきであるから、これを懈怠していた以上、本件事故につき責任を免れることはできない。
(五) 被告会社について
被告会社は、昭和五一年一〇月一一日から同年一一月一三日までの約一か月余の間本件池の土砂を一〇トンのトラックで一〇〇杯程の量の採取を行つたが、採取後直ちに整地することもせず一年間も前記のごとく水難発生のおそれのある危険な状況のまま漫然放置した以上、民法七〇九条に基づく責任は免れない。
けだし、被告会社は、右工事に際し、水利組合や近隣の住民から、整地のうえ一〇メートル前後のスロープをつける等して安全対策を施さるべく要請されており、このままでは子供らが転落して溺死する等の水難の生ずることが容易に予測し得たはずであり、また、容易に整地する等して、右危険な結果を回避することができたからである。
5本件事故により康之及び原告らがうけた損害は次のとおりである。
(一) 逸失利益
金九五五万三〇七五円
康之は昭和四九年一月一〇日生れの健康な男児であつたから、その死亡当時のホフマン係数は17.344(就労可能年数を四九年とみる。)であり昭和五二年度日弁連交通事故相談センターの交通事故損害額算定基準統計による平均賃金は月額九万一八〇〇円であるから生活費を二分の一として算出すると逸失利益は九五五万三〇七五円となる。
よつて、原告らはその二分の一を各相続した。
(二) 慰謝料 金五〇〇万円
康之は生れ出て三年余で洋々たる人生を閉じるその精神的苦痛は決して金銭では償い得ないものであるが、その一端を慰謝するとすれば金五〇〇万円を下らない。
よつて原告らはその二分の一を各相続した。
(三) 葬儀費用 金三〇万円
原告康彦は本件事故により康之が死亡したため葬儀費用として金三〇万円の支出を余儀なくされその損害を受けた。
(四) 原告らの慰謝料
金一〇〇〇万円
原告らが最愛の長男康之に僅か三歳にして先立たれたことによりうけた精神的苦痛は到底筆舌に尽し難く、決して金銭では償い得ないものであるが、その一端を金銭で慰謝するとすれば各金五〇〇万円を下らない。
(五) 弁護士費用 金四〇〇万円
原告らは、本件訴訟を提起するに際し、代理人らと訴訟委任契約を結び、その着手金及び報酬として日弁連報酬規定に基づき各金二〇〇万円を支払う旨約束し、右相当額の損害を受けた。
6結論
以上の次第で原告らは被告ら各自に対し、原告康彦は金一四五七万六五三七円、同菊代は金一四二七万六五三七円(いずれも円未満切捨て)及びこれらに対する本訴状送達の日の翌日(被告和夫、同幸子及び被告市は、昭和五二年一二月九日、その余の被告らは同五四年九月四日)から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求の原因に対する認否及び被告らの反論
(被告和夫、同幸子)
1請求原因1の事実は認める。同2の事実は不知。
2同3及び4の(一)の各事実のうち、原告ら主張のごとく厚と康之が遊んでいたこと康之が溺死したことは認める。被告らが康之の監護を依頼され、これを受諾したとの点は否認、契約関係の成立は争う。同5項の事実中、損害の発生原因、因果関係、数額の点は不知。
3原告ら主張のごとき応答があつたとしても、それは近隣のよしみによる儀礼的な挨拶であり、法的効果意思を伴うものではない。仮に外形上準委任に該るとしても、無償行為である以上、民法五五一条一項、同法六五九条が類推適用されるべきである。ちなみに被告らは自己の子と同一状況で康之を看守していた。
また、社会的意識水準、近隣者間の儀礼的行為であり、権利義務の社会関係と認められないことからみて被告らの所為に社会的非難に値するところはなく、更に行為の状況も各自宅前及び空地で遊んでいたものでありその地理的関係から危険を感じることはなかつたことなどからみて、自転車遊びから水遊び、ことに入水といつたことは予見可能性の範囲をこえるものであるというべく、被告らに過失ありとして不法行為としての責任が生ずる余地はなく、本件は不慮の事故というほかないものであり、仮に何らかの責任があるとしても前記の諸事情が斟酌さるべきである。
(被告市)
1請求原因1項及び3項の事実のうち、原告らが康之の父母であり被告近藤らが夫妻の関係にあること、康之の年令関係及び同人が昭和五二年五月八日死亡したことは認めるが、同人の死亡時間、死亡原因は不知。
2同2項の事実のうち、本件池の所在地、面積、同池が新興住宅地にやや囲まれていること及び同池が、かんがい用溜池であることは認めるがその余は不知。同5項は争う。
3 4・(二)・(イ)の事実中、本件池は地元野村村の百姓らが紀州侯から永代支配権を与えられ、以来野村村がこれを支配し管理してきたことは不知、その余は争う。本件池は無主の不動産であり、国の所有に属する。ちなみに被告市は、同被告所有の溜池については、「溜池墓地」と題する台帳に記載して整理しているが、これには本件池は記載されていない。
4同・(ロ)の事実のうち、原告ら主張の三か所の水の出入口(余水吐等)がコンクリートで設置されていること(但し出入口は三か所にとどまらない。)及びその機能、被告市が昭和五一年度に本件池の樋門の改修に補助金八万五五〇〇円を支出したこと、被告市が昭和五一年度に自ら事業主体として余水吐の復旧工事をなしたことは認めるが、その余は否認する。右水の出入口の三か所の設備の設置改修につき被告市は地元の要請に応じ関与したことはあるが、本件池の管理権限によるものではなく、各設備の操作管理はいずれも管理者たる水利組合によつてなされている。
ちなみに、被告市が本件池の樋門の改修に補助金を支出したのは、鈴鹿市土地改良事業等補助金交付要綱に基いてなしたものであり、また本件池の余水吐の復旧工事を自ら事業主体としてなしたのは昭和五一年九月の集中豪雨により既存の余水吐が損壊したため、農林水産業施設災害復旧事業国庫補助の暫定措置に関する法律に基き、地元からの申請に基き国庫補助を受けて災害復旧事業としてこれをなしたものであつて、被告市に本件池の管理権限及び管理責任があつたからではない。
5同・(ハ)の事実のうち、本件池の周辺部に団地造成がなされていること、本件池に釣人がくることがあることは認めるが、その余は争う。
被告市は、原告主張の如く被告会社に工事の許可を与えたこともなく、また工事により本件池が掘り下げられたこと自体を全く知らなかつたものである。
6本件池は、慣行的に野村町水利組合(かつては、その前身の地元地区ないし地元水利組合)が独占的かつ排他的に使用管理しているものであり、したがつて本件池は公共の用に広く供されているものではなく本件池は国家賠償法にいう「公の営造物」に該らない。
7地方自治法二条二項、三項は、単に地方公共団体の処理しうる事務の種類を掲げているにすぎず、同条三項の各号に掲げられている事務が、同条二項、三項、四項を根拠にして、一般的にすべて市町村の固有事務となるものではない。
仮にしからずとするも、本件溜池はいわゆる法定外公共物に該るものであるが、法定外公共物について地方自治法二条二項の規定により地方公共団体の事務とされるのは、公共物としての機能管理(行政的管理)についてのみであり、財産管理については同条項の適用はないというべきであるところ、本件事故が、本件溜池の機能管理(行政的管理)の瑕疵によつて生じたものでないことは明らかというべきである。
したがつて、地方自治法二条二項、三項二号、四項を根拠に、本件池が鈴鹿市内にあるとの理由で被告市に本件池の管理責任があるとする原告らの主張は失当である。
8仮に被告市に一般的抽象的な管理権限(管理責任)があるとしても、本件事故は被告会社の掘削工事に起因するとみられるところ、前記のとおり、被告市は右事実そのものを知らなかつたのであるから、原告らのいうごとき注意義務の懈怠はない。
また、被告市に仮に損害賠償責任があるとしても、原告らには本件事故の発生につき重大な過失があり相殺さるべきである。
すなわち、康之は事故当時三才四か月の幼児であるから、親権者である原告らは康之の第一次的な監護義務を負うものであるところ、原告菊代はこれを怠り、康之を本件現場近くの被告近藤方ないしその付近で、同被告方の幼児と遊んでいるのを放置して買物に出かけ、その間康之の監護を全くしなかつた。本件事故の直接の原因は原告らの右のごとき義務懈怠によるものである。
(被告国)
1請求原因1項の事実は認める。
2同2項の事実のうち、本件池が、かんがい用溜池であること、所在地及び面積の点は認める。
3同3項のうち、被告近藤らが夫婦であり、事故当日康之と厚が一緒に遊んでいたこと、原告菊代が買物に出かける際に同被告らとの間に、康之の監護について交渉のあつたこと及び康之が溺死したことは認める。
4同4項の(三)の事実のうち、被告国が本件池の所有者であるとする点は否認、本件池の状況は不知、その余は争う。同5項は争う。
5本件池の由来は、今から約三三〇年余前の江戸時代に遡り、現在本件池が存在する鈴鹿市南域は当時紀州藩の領地であつたところ、寛永一八年(一六四一年)に紀州藩の藩主徳川頼宣(南竜院)の意を受けて、現鈴鹿市野村町の先住百姓が、かんがい用溜池として築造してできたのが本件池である。
そして、この池の築造とこれに伴う田地の開発の功によつて、慶安四年(一六五一年)に領主から右野村の百姓に本件池の永年の支配権が文書によつて与えられ、爾来明治の変革期まで、地元野村の村落共同体が本件池を独占、排他的に支配、利用してきたのであり、また、その後も地元地区ないし地元水利組合が本件池を独占、排他的に使用していた。
ところで、明治維新後、明治政府は、封建領主の土地領有を排し、同四年大蔵省達第四七号により田畑勝手作を許し、同五年の太政官布告第五〇号により田畑永代売買と所持を四民(士、農、工、商)に許可して土地に対する封建的諸制限を廃絶し、その後地租改正に伴う明治七年太政官布告第一二〇号によつて官有地、民有地の区分がなされ、近代的土地所有制度が整備されるに至つたのであるが、この近代的土地所有権は、この近代的土地所有制度が確立した段階において当該土地に対し従来から所持権等強度の権利を有していた者がこれを取得するに至つた。ちなみに国有地は明治以来土地台帳に登載しない取扱いであるところ、本件池は土地台帳に記載があり、この点からしても本件池は国有地でないことがうかがえる。
以上のところからすると、本件池の所有権は、右の近代的土地所有権制度が確立した段階において本件池を最も強力に所持し、支配していた者に帰属するところ、前述のように、本件池は地元野村町の百姓が紀州侯から「永代支配権」を与えられ、かつ、現実にこれを所持し、支配してきたのであるから、本件池の所有権は、他に所有権移転の経緯がみられない以上、地元野村の村落共同体を継承した旧野村村に、そして本件事故当時には、同村を合併していた鈴鹿市に帰属していたというほかないのである。
6本件池は、国家賠償法二条の「公の営造物」に該らない。同法にいう「公の営造物」とは、所有権の帰属に関係なく行政主体が公の目的に供した物的施設をいうものであるところ、前述の経緯によつて、右野村の百姓に本件池の永年の支配権が文書によつて与えられ、爾来明治の変革期まで、地元野村の村落共同体が本件池を独占、排他的に支配し利用し、また明治以後も地元地区ないし地元水利組合において、本件事故当時は地元野村町水利組合において本件池を独占、排他的に使用していたのであつて、本件池が広く一般人のために供されたことはなかつたものである。
のみならず、仮に本件池が公共の用に供されていたものであつたとしても、右のとおり本件池は、村落共同体ないし地元の市町村に、もしくは水利組合に引き継がれ、かんがい用水として利用してきたものであり、被告国は、本件池が築造されてから本件事故当時に至るまで、本件池の設置にも管理にも全く関与していなかつたのであり、被告国において公共の用に供したという事実は全くなかつたのである。
7仮に、本件池が被告国の所有に属し、かつ公共の用に供されている所謂法定外公共物であつたとしても、その管理主体は地方自治法二条二項、三項にてらし、被告国ではなく地元市町村であることは明らかであるから、原告らの被告国に管理の瑕疵責任があるとの主張は理由がない。
8ちなみに、国家賠償法二条一項の営造物の設置、管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいうものであるところ、この瑕疵の存否は、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的、個別的に判断すべきものであり、当該事故が営造物の管理者において通常予測することができない行動に起因する場合には、瑕疵はないものとされている。
本件の場合、仮に本件池が法定外公共物であり仮に被告国が本件池の管理者であつたとしても、以下に述べるとおりその管理に瑕疵はなかつた。
すなわち、本件事故は水辺から五、六メートル位中にある深みに康之が入つて溺死した事故であるが水辺から五、六メートルは安全な遠浅になつていたのであるから、康之らが水辺で遊ぶだけならば危険は全くなかつたものであるところ、幼児とはいえ、五月に水辺から五、六メートルも池の中に入つていくことは、通常予測できないことであり、本件事故はこのように被害者の異常な行動によつて発生したものであるから、仮に被告国に本件池を管理する義務があつたとしても、その管理に瑕疵はなかつたものと言わなければならない。
9被告国の以上の主張がすべて容れられないときは、以下のとおり予備的に過失相殺の抗弁を提出する。
前記のとおり、本件事故は、康之の異常な行動によつて発生したものであるところ、同人をかかる状況に至るまで放置しておいた同人の監督義務者である原告らの義務懈怠の責任は重大である。
すなわち、客観的にみて、原告菊代が買物に出かけて留守にする時間が極く短時間であつたこと及び同原告が買物に出かけた所は場所的にも近くであつたことと、さらに、原告らと、被告和夫、同幸子との交際の程度からみて、本件の場合には、被害者の監護責任を原告らが完全に離脱し、その監護権が右被告らのみに帰属していたというものではなく、両者の関係においては、せいぜい右被告らに被害者の監護についてその両親である原告らの補助者としての立場にしか過ぎなかつたとみるべきものであり、また仮に、原告菊代において監護者として右被告らの選任(全面的な委託)があつたとしても、同原告の委託の仕方、その確認等が不十分であつたのみならず、当時多忙であつた右被告らを選任したこと自体が不適当な監護者を選任したというべく、公平ないし信義則の見地からいずれにしても被害者側の過失として評価されるべきである。
したがつて、被害者の監護義務を怠つた同原告ないしその補助者である右被告らの責任は重大であるから被害者側の過失として十分斟酌されなければならないものである。
(被告県)
1請求原因1項の事実は認める。
2同2項及び3項のうち、本件池の所在地、面積及びかんがい用溜池であること、康之死亡の点は認めるがその余は不知。
3同4項の(四)の事実のうち、本件池がかんがい用溜池であり、新興住宅地と近接していることは認めるが、本件池が国有地であること、被告県が被告国から委託をうけてこれを管理していること、被告会社に掘削工事等の許可を与え、これに立会つたことは否認する。
4本件池の歴史的経緯及び本件池を野村町水利組合が維持管理していることは被告国の主張するとおりである。
5地方自治法二条二項、同条三項二号及び同条四項は、溜池を設置し若しくは管理し、又はこれを使用する権利を規制することは、基礎的な地方公共団体である市町村の行政事務である旨規定しており、被告県は、地方自治法上その管理について責任はない。
これを本件溜池についていえば、地域住民の福祉に直接最も深い関係をもつ基礎的な地方公共団体である被告市が、行政事務としてその管理に当るべきであり、現に被告市は本件溜池の余水吐及び樋門の改修工事を単独あるいは前記水利組合と共同施行しており、同市は右水利組合と重畳的に本件池を管理してきたとみることができる。
6仮に本件池について、被告県が管理すべき立場にあつたとしても被告県に管理瑕疵の責任はない。すなわち、原告らが住んでいた池の下団地から本件池へは、団地内道路に接する民有空地を経て本件池に達するものであるところ、右空地と本件池との境付近は段差になつて傾斜しながら水際に達し、その先、五ないし六メートルが遠浅(大人のひざ位の水深)の状態になつており、本件池は民有地との境から急に深くなつていたものではないから、農業用溜池としての効用はともかく、危険な状態であつたということはできないし、当時の康之の身長は1.1メートルであるから、水際で水遊びをする程度であれば、右の池の状況からすれば、全く危険性のなかつたものであるところ、康之は五ないし六メートルも中心部に進んだため(泳ぐ目的で進んだ可能性が大きい)、溺死したものであるから、かかる結果についてまで被告県が管理瑕疵の責任を問われるいわれはない。
ちなみに、原告らは、昭和四九年七月七日に右団地内に引越してきたのであり、死亡した康之は昭和四九年一月一〇日生れで引越当時生後六ケ月であつて、以後、本件事故発生により死亡するまでの間、当地で生活して来たのであるからその成長過程において本件池を含むあらゆる周辺の地勢・地形を徐々にではあるが認識し得たはずであり、また、原告ら親としてもこれら池を含む周辺の状況及びそれに対する対応について十分子供に教え諭すべきであつた。
したがつて、本件事故は、原告側の一方的な過失により発生したものであり、遠方からたまたま当地を訪れ、事故に遭遇した場合と同一に論ぜられるべきではなく、仮に管理瑕疵が問題となる余地があるとしても、本件事故との間に因果関係はない。
(被告会社)
1請求原因1項ないし3項のうち、康之が原告ら主張日時に本件池で溺死したこと、本件池の所在地及び面積の点は認める。
2同4項の(五)の事実のうち、被告会社が本件池の土砂を掘削し一〇トン車(ダンプ)で一〇〇台分を搬出したことは認めるが、右工事は野村地区の水田水不足対策のため、同地区自治会長の依頼により行つた奉仕工事で県の許可の関係は全くない。期間は昭和五一年一一月末ころからはじめ翌五二年二月末日完成し、池南側の住宅地から掘削部分まで七メートルは離れており、工事の性質上底面を整地する必要は全くなく、工事完了後増水されたもので、場所からいつても工期からいつても本件事故とは全く因果関係はない。
三 被告らの主張に対する原告らの反論
被告市及び被告国の過失相殺の主張は争う。
本件事故当時原告らは康之の監護を既述のとおり、被告和夫、同幸子に委任していたものであり、本件事故は右被告らの義務懈怠ないし過失により発生したものであるから、原告らに過失はない。
第三 証拠関係<省略>
理由
第一 被告和夫、同幸子に対する請求について
一請求原因1項の事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠>を総合すると次の事実を認めることができる。
1原告及び被告一家は、いずれも昭和四九年七月ころ、農業用溜池である本件池の南部に隣接して民間業者により造成された池の下団地に転居してきたものであり、両者の位置関係は別紙第二図(見取図)のとおりである。
そして、両家は翌五〇年に入り、当初は町内会の隣組役員の関係から交際をはじめその後は、康之と被告らの三男厚が遊び友達となり、昭和五四年四月からは二児共に道伯幼稚園に通園するようになつたことから交際を深め、両児も共に遊ぶことが多かつた。
2事故当日、被告ら方では大掃除をしていたが、午後二時すぎころ厚と康之は幼児用自転車に乗るなどして被告ら方前の団地内の道路を通り、別紙第二図の甲地(空地・本件池との間に柵が設置されている。)や乙地(空地・本件池との間に柵は設置されていない。)付近で遊んでおり、二時半すぎころ二人は被告ら方へ戻り、被告幸子から氷菓子(アイス・ボーン)をもらつて玄関口や門前付近でこれを食べたりして遊んでいた。そのころ、買物に出かける途中の原告菊代が被告ら方を訪れ、康之を連れてゆこうとしたが、同児がこれを拒んだことから、被告和夫の口ぞえもあり、原告菊代は康之をそのまま厚と遊ばせておくこととし、被告幸子に、使いにゆくからよろしく頼む旨を告げ、同被告も、子供達が二人で遊んでいるから大丈夫でしようといつてこれをうけた。
3原告菊代がその場を去つた後、一〇分ないし一五分位の間は、被告幸子は両児が団地内道路や前記乙地で前同様自転車を乗りまわして遊んでいるのを仕事の合い間合い間に視認していたが、その後屋内へ入り七、八分後、次の仕事にとりかかろうとしているところへ厚が戻つてきて、康之が泳ぐといつて池にもぐり帰つてこない旨告げた(ちなみに、当日は五月にしては気温が高く汗ばむ位の陽気であつた。)。これを聞いた被告らは、厚を連れ、本件池へかけつけたところ、厚は前同図A点付近をさし示したので、被告和夫はじめ、かけつけた近隣の人達も池中に入り探索した結果、近隣に住む安田真治が水際から約五ないし六メートル沖の水深三ないし四メートルのところに沈んでいる康之を発見しこれを引き上げ、救急車で病院(福井外科)へ運んだが、既に死亡していた。なお、死亡原因は溺死と診断され、死亡時刻は同日午後三時三〇分ころと推定されている。
4本件事故現場は前記A点付近とみられ、被告ら方からは直線で約四〇ないし五〇メートル離れた地点であるが、康之は、前記乙地から事故現場へ至つたものと推認される。しかして、乙地から池に至るまでは平坦部であり、次に斜めに民家の階段を降りる程度の段差となつて水際に至つているが、当日は、水際から五ないし六メートルがほぼ平坦な遠浅状態のあと大人のひざ位の水深部分があり、ついで三ないし四メートルの深さになつているが、右の深い部分は前年一〇月一一日から一一月一三日の間に被告会社が、野村町水利組合長で同町自治会長でもある樋口増二の依頼により農業用水確保のため土砂を掘削し、湛水したことにより生じたものである。
5ちなみに、当時の康之の身長は約一メートル五センチであつた。
以上の事実が認められ<る。>
二そこで被告らの責任の有無について検討する。
1前認定の事実関係からすれば、原告菊代と被告らとの応答は従前から近隣者として、また同一幼稚園へ通い遊び友達である子供の親として交際を重ねていた関係上、時間的にも短時間であることが予想されるところでもあり、現に子供らが遊びを共にしていることを配慮し、近隣のよしみ近隣者としての好意から出たものとみるのが相当であり、原告らが康之に対する監護一切を委ね、被告らがこれを全て引受ける趣旨の契約関係を結ぶという効果意思に基づくものであつたとは認められないから、準委任契約の成立を前提とする原告らの債務不履行の主張は、その余の点につき判断するまでもなく失当である。
2しかしながら、前認定のように、被告幸子は、原告菊代が去つた後、子供らが乙地で自転車に乗つて遊んでいるのを認識していたのに加え、<証拠>によれば、乙地と本件池との間には柵などの設備がなく、水際までは前認定のような形状であり、子供らが自由に往来できる状況にあつたこと、掘削により水深の深い部分が生じていること、康之が比較的行動の活溌な子であること、本件池への立入りをきびしく禁じていた厚の場合と異なり、康之は渇水期には原告康彦と共に水の引いた池中に入り、中央部の水辺までいつていたことなどを被告らは知つていたものと認められ、かつまた、前認定のように当日は汗ばむような気候であつたのであるから、乙地で遊んでいる子供ら、ことに康之が勢のおもむくまま乙地から水際に至り、水遊びを興ずることがあるかもしれないこと、したがつてまた深みの部分に入りこむおそれがあることは、被告らにとつて予見可能なことであつたというべく、そうだとすれば、幼児を監護する親一般の立場からしても、かかる事態の発生せぬよう両児が乙地で遊んでいることを認めた時点で水際付近へ子供らだけで立至らぬように適宜の措置をとるべき注意義務があつたものといわなければならないから、かかる措置をとることなく、両児が乙地で遊んでいるのをそのまま認容していた以上、これによつて生じた結果につき、被告らは民法七〇九条、七一九条に基づく責任を負うべきものといわなければならない。
三そこで、責任の範囲について検討する。
1前認定のところからすれば、当日被告ら方は大掃除をしており、被告らも平素に比し多忙であつたこと、被告らの応答は諸般の事情から近隣者としての好意に出たものであることは、原告菊代においてもこれを認識していた(少なくとも認識しうべきものであつた)と認められる以上、康之に対する監護のあり方は、現に厚と二人と遊んでいるのを仕事の合い間合い間に看守すること以上には期待できない(たとえば屋内に二人を入れて面倒をみるなど)事情にあることを知りながら被告らの好意に期待し康之を残していつたものというべく、そうすると、たとえば有償で監護保育を委託するごとき場合と監護のあり方について全く事情を異にするものであることは自明の前提というべきであるから、かかる場合に、よつて生じた結果につき、有償の委託の場合などと同様の責任を被告らに負担させることは、公平の観念に反し許されない(いうなれば有償の委託の場合などに比し、義務違反の違法性は著しく低い)ものというべきである。
2また本件のごとく既存の溜池に近接して造成された土地に居住する以上、不慮の事故のないよう子供に対し、平素から池に対する接し方をきびしく仕付けておくことは親の子に対する監護のあり方として当然なすべき筋合のものであるところ、同様の年代にある二人でありながら、康之のみが、泳ぐといつて水際から遠浅のところを五ないし六メートルも池の中央部へ進んで深みに入るという行動に出たことは、被告らに比し、原告らの右の点に関する平素からの康之に対する仕付けのあり方に至らぬところがあつたこともその背景をなしているものと推認できるから、過失相殺の法意を類推し、この点もまた被告らの責任の範囲を考えるにつき斟酌すべき理由の一つとなすべきである。
3以上の次第で、右の二点を総合考慮し、損害の公平な分担を考えると本件事故により生じた損害の分担割合は、原告ら七に対し被告らを三とするのが相当である。
四そこで進んで損害の点について検討するに、統計資料等に基づく、康之の逸失利益九五五万三〇七五円の請求は、経験則上これを正当として肯認できるものであるところ、前記分担割合によれば、被告らの分担すべき分は、二八六万五九二二円(円未満切すて)となる。
また慰謝料については、叙上認定の諸事情その他記録にあらわれた一切の事情を斟酌すると、康之について一〇〇万円原告らについては各五〇万円とするのが相当であり、弁護士費用については、認容額、訴訟の難易度、日本弁護士連合会の報酬等基準規程等を併せ考えると、本件事故と相当因果関係のある損害とみうる部分は四〇万円(原告ら各二〇万円)とするのが相当であるが、葬儀費用三〇万円についてはこれを認めるに足りる証拠がない。
五前記のところによれば、原告らがそれぞれ填補をうくべき損害は、康之の逸失利益分二八六万五九二二円と慰謝料一〇〇万円合計三八六万五九二二円についての各二分の一の相続分一九三万二九六一円と固有の慰謝料五〇万円、弁護士費用二〇万円の合計二六三万二九六一円となる。
第二 被告市に対する請求について
一本件池が鈴鹿市野村町字拂川六〇八番に所在し、公簿面積九万九三七八平方メートルのかんがい用溜池であることは当事者間に争いがなく、右争いのない事実と<証拠>を総合すると次の事実を認めることができる。
1本件池は鈴鹿市野村町内に居住し、農地を有する三六戸及び農地を野村町に持ち他地区に居住する二〇戸余の農家で構成される野村町水利組合が従前から同池北部、中部、南西部の三か所のコンクリート製樋門(樋門の設備は約三〇〇年以前から同所に設置されていたと伝えられている。)を設置管理し、水利を調節(年末の一二月から翌年六月頃までが満水状態である。)するなどして農業用溜池としてこれを管理している。
2右組合は明治末期に設立されたものであるが、その沿革は古く江戸時代にさかのぼるものとされており、右組合には慶安四年(一六五一年)に野村の百姓がこれを支配することを領主から与えられたことを示す古文書(丙第五号証)や、明治初期の水争いに際し、紀州藩初代藩主から本件池の永代支配権が与えられたとの主張が認められた経緯を記した文書(丙第四号証)が代々伝えられてる。
3同組合には成文化された規約はなく、慣行により全て処理されているが組合長、会計各一名その他洞番と称する水守役があり、組合員から徴収する水利費により経費をまかない、定時総会は年一回である。そして組合長は代々野村町自治会長(総代ともいう。)が両役を兼任することになつている。
4本件池周辺には別紙第一図①ないし③の地点にコンクリート製の余水吐等が設置されその改修などに被告市が関与しているが(この点は当事者間に争いがない。)、①、③の設備は直接本件池の農業用利水に関するものではなく、管理も他の水利組合が行つている。
5昭和五一年被告市は野村町水利組合が設置管理する樋門の改修に補助金八万五五〇〇円を支出し、また台風一七号による洪水により崩壊した余水吐の復旧に関し自ら事業主体となつて七八万円を支出してこれを復旧した(当事者間に争いがない。)が、右補助金の申請は右水利組合長でもある野村町自治会長樋口増二の名で申請されたものであり、右復旧工事は溜池復旧工事として有限会社鈴鹿測量建設に請負せて完成したものである。ちなみに地方自治法二条二項、三項二号、四号は溜池の設置、管理等は市町村の行政事務である旨規定している。
二次に前認定の諸事実及び<証拠>と被告国の指揮するごとき明治政府における地租改正に伴う当時の官民有区分関係法令の変遷の経緯を併せ考えると、特段の証憑のない以上本件池の所有権は旧幕時代の地元野村の村落共同体から、これを継承した旧野村村へ、そして、本件事故当時は同村を合併していた被告市がこれを継承していたものと推認するのが相当である(前記樋口証人の証言中、右認定に反する部分は採用できない。)
ところで国家賠償法が適用されるためには、公の営造物が公の目的に事実上使用され、国又は地方公共団体が(権限に基づく場合は勿論、権限に基づかない場合であつても)事実上これを管理していれば足りると解するのが相当であるが、前認定の事実関係からすれば、野村町水利組合ないしその組合員は本件池に対して慣行水利権を有しているものと認むべきところ、本件池の慣行水利権者は、本件池水からの引水を必要とする野村地区の農地耕作者に限られているという地域的限定性はあるとはいえ、その耕作権を享有する者の全てに及ぶという点からみれば、年月の経過に伴い、相続による一般承継はもとより、売買等による特定承継により変遷を重ねてきたもので不特定又は多数であつた(右組合以外の水利組合が前記①、③の設備を介し、間接的に本件池から便益をうけていることは前認定のとおりである。)とみるのが相当であり、また本件池は野村町水利組合がこれを管理していることは明らかであるが、被告市もまた重畳的にこれを事実上管理していたものとみるに妨げはないものというべく、そうだとすれば、本件について、被告市に関し、前記法条の適用をみることは明らかといわなければならない。
三そこで被告市の設置管理上の瑕疵の有無について検討する。
営造物責任における瑕疵の有無は、いうまでもなくその構造、用途、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を考慮すべきものであるところ、前記第一の一で認定したとおり、本件池は従前から農業用溜池として利用されてきたものであるところ、昭和四九年に至り、民間業者により池の下団地が造成されるなどして周辺に人家が並ぶようになつたものであるが、本件当時もとより水泳場或いは釣漁場等として一般に開放されていたものではなく、ことに本件事故現場付近の状況は、前記第一の一・4のとおりであつて、造成民有地から本件池へ直接転落するといつた危険性を有するものではなく、水際付近も遠浅の状態にあつたもので五ないし六メートル以上も池の中心部にむかつて進まない限り何等事故発生の危険性を有しないものであつたと認められるから、かかる場合に親その他監護者の保護をはなれた幼児らが右のような所為に出て事故発生に至ることを予見してこれを防止するため防護柵等の設備を設けるべき法的義務が当然に管理者にあるものとは認め難く、設置管理に瑕疵ありとする原告らの主張は採用の限りでない。
四したがつて、被告市に対する原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく結局理由なきに帰するものである。
第三 被告国及び被告県に対する請求について
所有権の帰属については前認定のとおりであり、かつ、本件全証拠によつても被告国及び被告県が本件池を管理していたとの事実を認めることができないから、前記法条に基づく原告らの請求はいずれにしても失当というほかなく、また条理に基づくとする主張も原告ら独自の見解に依拠するものであり採用の限りでなく、同被告らに対する請求はいずれも理由がない。
第四 被告会社に対する請求について
請求原因4項・(五)の事実のうち、被告会社が本件池の土砂を搬削し、一〇トン車で一〇〇台分を搬出したことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、右工事は野村地区の水田水不足対策として同町自治会長、樋口増二の依頼により実施され、本件事故現場付近も昭和五一年一〇月一一日から一一月一三日までの間に、水際から七ないし一〇メートル程度はなれて一ないし1.5メートル程度の深さを目途として土砂を掘削採取したものであるところ、掘削終了後間もなく水がはられ満水状態となつたものと認められる(被告会社代表者本人尋問の結果中、右認定に反する部分は採用できない。)。
しかしながら、右の掘削の目的、掘削状況、先に認定した事故現場付近の状況からすれば、法律上右掘削に際し、満水後掘削現場跡付近まで進入し、深みに入る幼児等のあることまで予見し、これを防止するため、ゆるやかなスロープをつけて掘削するまでの注意義務が被告会社にあつたとすることはできず、したがつて被告会社に対する原告らの請求もその前提を欠き理由なきに帰するものといわなければならない。
第五 結論
以上の次第であるから、原告らの本訴請求のうち、被告和夫、同幸子に対する請求は、被告ら各自に対し、各二六三万二九六一万円及び内金二四三万二九六一円及びこれに対する昭和五二年一二月九日(訴状送達の日の翌日・記録上明らかである。)から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金並びに内金二〇万円に対する本裁判確定の日の翌日(弁護士費用については支払の時期についての主張、立証がない。)から支払ずみまで前同割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、同被告らに対するその余の請求並びに被告市、被告国、被告県及び被告会社に対する請求はいずれも理由がなく棄却を免れない。また仮執行の宣言の申立については、相当でないからこれを却下することとする。
よつて、民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文に従い、主文のとおり判決する。
(上野精)
第一図<省略>